L'Uccello dalle piume di cristallo  
歓びの毒牙(きば)

Also Known As : Bird with the Crystal Plumage, Bird with the Glass Feathers (1969), The Gallery Murders(1969), Phantom of Terror (1969),el Pajaro de las Plumas de Cristol, Le sadique aux gants noirs, L'oiseau au plumage de cristal, The Sadist With Black Gloves, The Bird With the Glass Feathers, Das Geheimnis der schwarzen handschuhe (Germany), L'oiseau au plumage de cristal (France), De messen morden (Holland)

 "Right. Bring in the Perverts"
 -Inspecter Morrosini

Bird with the Crystal Plumage

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1969 Color

 


[STAFF]

監督 : ダリオ・アルジェント
制作 : サルバトーレ・アルジェント 、アーサーブラウナー(制作総指揮: CCCフィルムクンスト)
製作 : CCC フィルムクンスト GmbH (ドイツ)/グラツィエール、セダ・スペッタコリ(イタリア)
配給 : ティタヌス(イタリア)、ユニバーサル・マリオン・コーポレション(UMC Pictures)(1970、米国)、VCIホームビデオ(米国、ビデオ)
原作 : フレドリック・ブラウン (小説The Screaming Mimi『通り魔』より)
脚本:ダリオ・アルジェント
撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
音楽:エンニオ・モリコーネ
美術・衣装:ダリオ・ミケーリ
編集:フランコ・フラティチェリ
第1編集助手:カッセリーナ・カッシーニ
第2編集助手:セルジオ・フラティチェリ
スクリプター:リダ・チタリーニ
スチール:ムオーバ・ディアル
音響:カルロ・ディオタベッリ
マイク操作:ユージェニオ・フィオーリ
音楽指揮:ブルーノ・ニコライ
メイクアップ:ジュゼッペ・フェランティ(ピノ・フェランティ)
ヘアメイク:リディア・プーリャ
助監督:ロベルト・パリアンテ
台詞:ロベルト・ピエッティ

制作主任:ウンベルト・サムブーコ、カミーロ・ティエッティ
管理:アンジェロ・タバッツア
カメラ操作:エンリコ・ウメッテーリ、アルツーロ・ザバティーニ

[CAST]

サム・ダルマス : トニー・ムサンテ
ジュリア : スージー・ケンドール
モロシーニ刑事 : エンリコ・マリア・サレルノ
モニカ・ラニエリ : エヴァ・レンツィ
アルベルト・ラニエリ : ウンベルト・ラオ
カルロ・ドーバー教授(サムの友人): ラフ・ヴァレンティ(レナート・ロマーノ)
ベルト・コンサルビ : マリオ・アドルフ
モンティ : ジュゼッペ・カステラーノ
ファイエナ:ピーノ・パティ
4番目の犠牲者:ローザ・トロス(ロジータ・トロッシュ)
エージェント :オマー・ボナーロ
レネルディ教授 :ジャンニ・ディ・ベネデット
黄色いジャケットを着た殺し屋:レジー・ナルダー
古物商:ウェルナー・ペータース
ティナ:カレン・ヴァレンティ
3番目の犠牲者となる路上の女性:カーラ・マンシーニ
その他のキャスト :ジルド・ディマルコ、ブルーノ・エルバ、フルビオ・ミンゴッツイ、アンナマリア・スポーリ

その他の情報

ロケ地:ローマ(イタリア)

公開日: イタリア 1970年2月19日、西ドイツ 70年6月24日、フランス 71年6月20日、フィンランド 72年5月5日、日本71年10月26日
日本語版監修:野中重雄
日本配給:フォックス
フィルムネガフォーマット:35mm
現像:クロモスコープ
フィルムプリントフォーマット:35mm
画面比 2.35:1
時間:99分、7巻2630メートル

キネマ旬報掲載:紹介566号

ストーリー
video サム・ダルマスは恋人のジュリアとローマに住んでいるアメリカ人作家である。ローマでは殺人事件が続いていた。ある夜、サムが画廊の前を歩いていると、店の中で黒い手袋をはめたレインコートの男女性がナイフで襲われているのを目撃するサムは助けようとするが、画廊の入り口は二重の自動ドアになっていて、閉じ込められてしまう。警察が到着し、サムは容疑者として、警察に身柄を確保される。疑いは晴れるが、重要な目撃者として帰国は許されなかった。画廊で襲われていたのは画廊を経営するラニエリ氏の妻であるモニカ・ラニエリだった。 サムは何か重要なものを見たような気がしていたが、それが何なのかわからなかった。モロシーニ警部にパスポートを取り上げられたサムは帰国を断念し、犯人捜査に乗り出した。サムは最初の犠牲者が働いていた古物商にたどり着く。彼はその犠牲者が殺された日に売ったという一枚の絵を手に入れる。その絵はある女性がナイフを持った男に襲われている場面を描いたものだった。サムは絵を描いた画家であるベルト・コンサルビにも会いに行くが、手掛かりは得られなかった。サム自身やサムの恋人ジュリアにも得体の知れない魔の手が伸び始め、その間にも第5、第6の残虐な殺人が続いていた。サムとジュリアは犯人からの脅迫電話を受ける。その電話からは動物園の音が聞こえた。音を解析すると珍しい鳥の鳴き声だった。その鳥のいる動物園を探り当てるとそこはラニエリ夫妻の住むアパートの近くだった。サムと警察はラニエリ氏宅に急行するが、ラニエリ氏は逃げようとして窓から落ちてしまう。死の直前、氏は自分が犯人だと自白した。 しかし、サムには疑問が残った。そしてついに真犯人と直面する。犯人はモニカだった。彼女は子供のときに暴行され、それがトラウマとなっていた。古物商で女性が襲われている絵を見て、彼女の狂気が目覚めたのだった。彼女の夫は彼女をかばったに過ぎなかった。モニカはサムを襲うが、危機一髪のところで警察が彼女を逮捕した。サムはアメリカに帰国するために飛行機に乗り込むのだった。

脚本家から映画監督へ

 脚本家時代、アルジェントは自分が映画監督になるとは思っていなかった。それどころか、映画監督は下品な職業だと感じていた。アルジェントは一人で仕事をするのが好きだった。脚本家はまさにうってつけの職業といえる。しかし、映画監督はその逆だ。いつも多くの人間に囲まれている。

 アルジェントが映画監督になったのは『歓びの毒牙』の脚本を書いたことがきっかけだった。アルジェントは『歓びの毒牙』を手放すことがどうしてもできなかった。他の監督が『歓びの毒牙』を台無しにするのが許せなかったのだ。最初にこの映画の監督候補になったのはドゥッチオ・テッサリだったが、アルジェントは納得しなかった。テッサリに『歓びの毒牙』のような斬新な映画が撮れるとは思わなかったからだ。そこへ突然、父親のサルバトーレがダリオに監督をするように薦めてきた。アルジェントは監督としてやっていくつもりはなく、『歓びの毒牙』を最初で最後の作品にしようと思った。恐れることは何もない。アルジェントは『歓びの毒牙』が誰かの手によって汚されるのを見たくなかった。

 フレドリック・ブラウンが1953年に発表した推理小説『通り魔』をアルジェントに紹介したのはベルナルド・ベルトルッチだった。ベルトリッチは自分自身もこの小説の映画化権を手に入れようと思っていたが、アルジェントに譲ったのだった。当初、アルジェントは通り魔の脚本・映画化を試みた。だが、映画化権が高かったため、アルジェントは独自に原作をアレンジすることにした。『通り魔』はアニタ・エクバーグ主演で1958年に映画化(アメリカ映画Screaming Mimi)されているが、アルジェントはこの小説のアイデアを使って監督処女作『歓びの毒牙』の脚本を書き始めた。

 『歓びの毒牙』のアイデアはアルジェントがチュニジアの海岸で寝そべっているときに生まれた。食事をしたあと、アルジェントは気分が悪くなり、海岸で寝そべっていた。そこでアイデアがひらめいた。そのストーリーに『通り魔』の要素を導入して脚本を書きあげた。『歓びの毒牙』はマリオ・バーバの『The Evil Eye(The Girl Who Knew Too Much)』の影響があると指摘されることが多いが、アルジェントはそれを否定している。『The Evil Eye』のストーリーは「ある女性が殺人を目撃するが、彼女は何かを見落としているのではないかという思いにとりつかれる。そして最後に、彼女は被害者だと思っていた人間が実は犯人だったということに気付く」というもの。主人公が最初に重要なものを見ているにもかかわらず、何か重要なことを見落としているというパターンは『歓びの毒牙』だけではなく『サスペリア2』でも効果的に使用されている。

 アルジェントは水槽の中の魚というコンセプトを設定した。これは主人公のサムが画廊の自動ドアの間に閉じこめられるシーンに生かされている。ドアとドアの間に閉じこめられ、動くことのできない主人公のサムはまさに水槽の中の金魚だ。このコンセプトのもとになった水槽をはじめに見たのは『五人の軍隊』のプロデューサー、イタロ・ジンガレッリの家だった。

監督交代の危機を克服、大ヒット

poster 『歓びの毒牙』の制作は順調には進まなかった。プロデューサーのゴッフリード・ロンバルドは新人のアルジェントに監督させるのに不安をおぼえ、テレンス・ヤングを監督に起用しようとした。当時、テレンス・ヤングが監督しオードリー・ヘプバーンが主演した『暗くなるまで待って』(1967)がイタリアで大ヒットしていたためだ。プロデューサーは撮影が開始されてから数週間分のラッシュフイルムをみて、監督をアルジェントからフェルディナンド・バルディに変更しようとした。とある日曜日、ロンバルドからアルジェントに電話がかかってきた。会って映画について話しをしたいという。ロンバルドは落ち着いてこう言った。「今この映画から手を引けば、給料は払おう。それがお互いの名声を守る方法というものだ」。アルジェントが断るとロンバルドは説得を始めた。「君は監督ではないから」などと言い出す始末だった。だがアルジェントがきっちりと契約書を交わしていたため、アルジェントは途中で降板させられることはなかった。ダリオの父親のサルバトーレが契約関係をきっちりとしてくれていたおかげだった。父親のきめ細かな配慮がなければ、アルジェントは『歓びの毒牙』を完成させることはできなかっただろう。

 紆余曲折の末、『歓びの毒牙』は完成する。『歓びの毒牙』の制作費は50万ドルで、撮影はローマで7週間かけて行われた。幾何学的なデザインの画廊のシーンは3回取り直した。
  アルジェントは映画制作に当たって、様々な最新の撮影機材をいち早く、果敢に導入してきた。歓びの毒牙では殺人の犠牲者の喉の中へカメラが入っていくショットでは、医療用のシュノーケルカメラを使用した。シュノーケルカメラは病院で胃の検査に使われる長いチューブの付いたカメラで、患者が口からカメラを飲み込んで、胃の内部を見るのに使われるものだ。

 次の関門は映画会社チタヌスでの初回試写だった。アルジェントは試写には顔を出さなかった。誰かとけんかをしてしまいそうだったからだ。父親だけは評価してくれたが、その他の人々の評価は散々だった。ところが、映画はチタヌス最大のヒットとなった。その日からロンバルドはこの映画を屑だと言わなくなった。『歓びの毒牙』の成功以来、アルジェントは他人の意見を聞くのはやめようと決めた。アルジェントは『五人の軍隊』のプロデューサー、イタロ・ジンガレッリにも連絡を取り、「自分の人生は変わるかもしれない」と伝えた。『歓びの毒牙』のあと、アルジェントの人生は実際に変わった。アルジェントは自分に映画監督の才能が備わっていることを確信した。アルジェントの存在は全世界に知れ渡ることとなったのである。イタリアには若いけれども、ものすごいスリラー映画の監督がいる。映画監督としてのダリオ・アルジェントのキャリアの始まりだった。

トニー・ムサンテとの戦い

poster アルジェントとムサンテは全くうまくいかなかった。アルジェントは毎朝仕事にいくのが悪夢のようだった。くる日もくる日もムサンテとけんかしなければならなかったからだ。ある夜、ムサンテは映画のあるシーンについて話し合いたいと午前1時過ぎにアルジェントの家を訪れた。アルジェントはドアを開けなかった。「映画は多くの人々によって作られる。役者だけのものではない」とアルジェント。アルジェントは役者との関係が憂鬱になった。やっとのことで撮影が終わり、しばらくして、ふたりは再会することになった。しかし、今度は本当にこぶしで殴り合うけんかになった。大柄なムサンテにアルジェントが勝つすべはなかった。アルジェントは「それ以来、幸いなことにトニー・ムサンテのように最低な役者にであったことはない」と話している。

アニマル・トリロジー

 アルジェントはセルジオ・レオーネの『夕陽のガンマン』に冒頭のナイフを並べた場面でオマージュを捧げている。原題は「人は誰でも獣の本能を秘めている」というアルジェントの持論から、「水晶の羽を持つ鳥」と付けられた。以後、アルジェントは「9尾の猫」が原題の『わたしは目撃者』、『四匹の蝿』と2作のジャーロを撮っている。この3作はアニマル・トリロジーと呼ばれている。ヒッチコックの『知りすぎていた男』で暗殺者を演じたレジー・ナルダーがここでも黄色いジャケットを着た暗殺者を演じている。

映画「通り魔」について

 フレドリック・ブラウンの小説『通り魔』(Screaming Mimi)は、監督:ガード・オズワルド、脚本:ロバート・ブレース、出演:アニタ・エクバーグ、フィル・キャリー、ジプシー・ローズ・リーで1958年にアメリカで映画化されている。ヒッチコックの『サイコ』が撮られる2年前に、この映画にはすでにシャワーとナイフのシーンがあった。こちらもカルトと呼べるサイコ・ホラーの佳作である。

バージョン違い

 日本コロムビアが発売した英語版ビデオ、LDは、冒頭のタイトル直後の女性の悲鳴が画面のコマ飛びで切れていたが、カルチュア・パブリッシャーズ発売のイタリア語版ビデオ、DVDでは完全収録されている。米ローングループから発売された英語版LDには英語版予告編が収録されている。

予告編

poster予告編ムービーです。

各映画ガイドによるストーリー紹介

 各映画ガイドにおける作品紹介を比較する。短いコメント文でも、筆者の見解が分かれるのは興味深い。

ホラーの逆襲の紹介文 
 
アルジェントの監督デビュー作。フレドリック・ブラウンの小説『通り魔』を下敷きにしたミステリー。彼が”イタリアのヒッチコック”と呼称される引き金となった。事件を目撃した作家が連続殺人に巻き込まれていく。その後のアルジェントの映画に多く登場する黒手袋の犯人がすでに登場している。殺人シーンは「私が一番うまい」と自ら演じている。原題の意味は”水晶の羽を持つ鳥”。

ぴあシネマクラブの紹介文
 「サスペリア」「フェノミナ」などで知られるホラーの巨匠、D・アルジェントのデビュー作。巻き込まれ型の導入部分や犯人の二重人格、鳥や昆虫、加えて細部にこだわるカメラワークなど、後年のアルジェント映画に欠かせない要素を詰め込んだ猟奇的サスペンス。

プレスシートの解説文
 ふとしたことから、ブロンドの美女ばかりを狙う謎の連続殺人事件にまきこまれたアメリカの作家の冒険をテーマとするサスペンス・スリル映画で、ダリオ・アルジェントが脚本を書き、自ら演出した。
 製作はサルバトーレ・アルジェントが当った。音楽は「アルジェの戦い」、「狼の挽歌」、「真昼の死闘」のエンニオ・モリコーネが担当し、撮影監督はビットリオ・ストラロである。
 主演は「ある戦慄」、「刑事」のトニー・ムサンテ、「密室」のスージー・ケンドール、「砂漠の戦場エル・アラーメン」のエンリコ・マリア・サレルノ、「甘い戯れ」、「パーマーの危機脱出」、「未青年」のエバ・レンツィで、他にウンベルト・ラホー、ラフ・バレンティー、ジュセッペ・カステラノ等が出演している。

全洋画の解説文
  美女猟奇殺人が続発するローマ。在住のアメリカ人ライターは、とある画廊でその殺人現場を目撃する。事件に巻き込まれたライターは真犯人に迫るべく独自に捜査を始めるが……。D・アルジェントの監督デビュー作。

 

  
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