La Setta
デモンズ4

Also Known As: The Devil's Daughter(1990), The Sect(1990)

1990 Color


[STAFF]

監督:ミケーレ・ソアビ
製作:ペンタ・フィルムズ、S.L. 、ABC
制作:ダリオ・アルジェント、マリオ・チェッキ・ゴリ、ビットリオ・チェッキゴリ
配給:イタリアン・インターナショナル・フィルム
脚本:ダリオ・アルジェント、ジャンニ・ロモリ、ミケーレ・ソアビ
撮影:ラファエル・メルテス
音楽:ピノ・ドナッジオ
美術:アントネッロ・ゲーリング
衣装:ベラ・コゾリーノ
編集:フランコ・フラティチェリ
アニマトロニクス:セルジオ・スティバレッティ


日本語字幕:紅林麗子
録音:ドルビー
時間:112分

[CAST]

ミリアム・クレースル:ケリー・カーティス
ハーバート・ロム
マリアンジェラ・ジョルダーノ
ミッシェル・アダッテ
カルロ・カッソーラ
アンジェリカ・マリア・ボエック
ジョン.モーゲン
ニルス・グロブ
デーモン:トマス・アラーナ
ジョナサン・フォード:ドナルド・オブライエン
サマンサ:ヤスミン・ウッサーニ
スティーブン:パオロ・プランゾ
トラックの運転手:リチャード・サミュエル
トラックの運転手:ラルフ・ボラ・ムスタファ
サラ:エリカ・シニージ
マーク:ダリオ・カッサリーニ
スリ:ファビオ・サッカーニ
看護士:ビンチェンゾ・レジーナ
助産婦:ジョバンナ・ロッテリーニ
助産婦:キアラ・マンコーリ
カルト教団の女:カルメーラ・ピラート

[STORY]

 1970年代の南カリフォルニア。ヒッピー達の住む平和なコミュニティーに一人の男がやって来る。彼は自らをデーモンと名乗り、ローリング・ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」の歌詞を口ずさんだ。その晩、コミュニティーの人々は、この謎の男の仲間達によって皆殺しにされる。

 ドイツ。ある男が女性店員を刃物で殺す。男は彼女から取り出した心臓をポケットに入れ地下鉄に乗る。途中スリが男のポケットに手を入れるが、スリは心臓に驚き、満員の乗客の目前に心臓を落としてしまう。男は慌てて逃げ出すが、鉄道の警備員に取り押さえられてしまったため、警備員の拳銃を奪い自殺する。

 ハンブルグの山林にある村。小学校教師のミリアムは自動車を運転中に道に立ちすくんでいた老人と接触事故を起こす。ミリアムは老人を自宅に運ぶが、老人は彼女の過去を知っていた。その夜、老人は眠っているミリアムの鼻の穴に1匹の虫を放つ。ミリアムはそれが原因で巨大な鶴に首筋をついばまれるという夢を見る。悪夢に目覚めたミリアムは、老人が苦しんでいるのを見つけ医者を呼びに行くが、戻った時には老人は死んでいた。


 それ以来、彼女の周囲で不可解な事件が相次ぎ、やがて彼女は全ての出来事の真相を知る。ミリアムは、老人が指揮するカルト宗団に選ばれた存在であり、反キリスト者を産むという使命を負わされていたのだった。

アルジェントがチェッキゴリと共同製作

 『デモンズ4』は、『デモンズ3』に続きダリオ・アルジェントがイタリアの映画製作・配給業者のチェッキ・ゴリ親子と共同製作し、ミケーレ・ソアビが監督した作品。登場人物のマーティン・ロメロは、『マスターズ・オブ・ホラー』(1990)をアルジェントと共同で監督したジョージ・A・ロメロからとられた。また、マリオン・クレーンという名の最初の犠牲者は、『サイコ』 (1960)のキャラクターを参考にしている。

シナリオのできるまで

 当初、監督には『サイレント・ラブ』(ビデオ公開)のルカ・ベルドネが予定され、ラテン語で地下墓地を意味する「カタクンバ」という仮題のもとで企画が進行していた。映画の発端部分はジュリアス・シーザー時代の古代ローマが舞台となっていたという。

 アルジェントは「カタクンバ」というタイトルが気に入らず、『デモンズ4』の原題である『La setta』に変更した。だが、それでもストーリーの骨格が固まらず、ベルドネは別の仕事に移ってしまった。アルジェントは、『デモンズ3』でも一緒に仕事をしたミケーレ・ソアビに監督と脚本を依頼した。

 ソアビは脚本家のジャンニ・ロモリと共同で、話を一から作り直す事にした。ソアビは始めアイルランドを舞台とし、古代ケルト族の神話や魔術の要素を盛り込むつもりだったが、やはりストーリーに行き詰まってしまった。

 脚本の遅れに業を煮やしたアルジェントは全く別のストーリーを2人に差し出した。それは極秘に勢力を拡大していくカルト教団の話だった。

悪魔を憐れむ歌

 1970年代の南カリフォルニアの導入部はアルジェントの若い頃の体験を取り入れたものだ。1970年代前半、アルジェントが弟クラウディオとダリア・ニコロディとともに米国に長期滞在していたときだった。3人がロサンゼルス近郊の海岸を散歩していたとき、彼らは奇妙な人物に出くわした。その男は白い衣服を身にまとい、イエス・キリストのような風貌で、「自分はある宗教の教祖で救世主である」と語った。その当時、カリフォルニアには数多くの新興宗教が生まれていた。アルジェントはこの人物に前に立っているだけで不快で不安な気分にさせられるような説明し難い邪悪なものを感じた。その男の教団は悪魔崇拝者の集団だったのだ。

 長年アルジェントの頭から消えなかったこの時の印象が、『デモンズ4』の導入部となった。

閉鎖的な現実主義

 ミケーレ・ソアビは、『デモンズ4』をいくつかの点で『デモンズ3』より『アクエリアス』に似ていると語っている。ストーリーの大部分が現実的な設定だからである。超自然的な場面もあるが、『デモンズ4』は閉鎖的な現実主義に基づいており、ソアビの他の作品と比べて、『デモンズ4』は主人公の心理状態により集中している作品だ。

 『デモンズ4』の主演俳優のケリー・カーティスは、いわば本物の「怪物」だったといえる。他の女優なら拒絶するような事でさえ、スタント無しで演じたからだ。また、ハーバート・ロムも撮影カメラというものを熟知しており、ソアビは「素晴らしかった」と絶賛している。

 『デモンズ4』は悪魔崇拝物の一本に分類されるが、ミケーレ・ソアビ監督は「この映画は、教団ではなく、主人公ミリアムの物語を語っている」と説明する。『デモンズ4』には当然悪魔的要素は存在し、1970年代のプロローグもある。だが、『へルター・スケルター』や『ローズマリーの赤ちゃん』といった一連の作品が出尽くした後であり、ソアビは、『デモンズ4』を夢想的で幻想的な側面についての物語として特徴付ける方がいいと考えたのだった。ソアビはこの映画の演出に当たっては、古代ケルト族の宗教やドルイド僧など、全ての魔術的象徴学にヒントを得た。

ケリー・カーティスはジェイミー・リー・カーティスの妹

 主人公ミリアムを演じたケリー・カーティスは、トニー・カーティスとジャネット・リーの間にできた娘。『ハロウィン』などのホラー映画に多数出演しているジェイミー・リー・カーティスの妹に当たる。ケリー・カーティスは、家族や友人もなく、自分がどこから来たのかも分からないという、自分自身の背景について何も知らない若い女性を演じたことは、女優として非常に刺激的だったと述べている。彼女は、ちょっとずつ自分が本当は誰なのかということに気付き始める。だからこそ、このような役を演じることはとても刺激的な経験なのだという。

ミケーレ・ソアビの初作品は『アクエリアス』

 ミケーレ・ソアビは『アクエリアス』で監督デビューし、アルジェント制作の『デモンズ3』、『デモンズ4』を演出している。ソアビは「『アクエリアス』のような俳優と物語だけしかないような低予算映画ではリアリズムや荒削りなテーマ、ストーリーの説明のために費やされる時間などが土台となっているのに対して、アルジェントの制作作品のような大予算で仕事をする場合は、シーンや俳優、特殊効果をふんだんに使えるため、逆にどれかに集中できないというリスクがある」説明している。だが、どちらの場合でも、興味があるのは哀感や物語の緊張感の方だという。

 『アクエリアス』の制作費は1986年の時点で8億リラ。映画監督のジョー・ダマトが、自らの資金で製作した。ソアビは自分とこの映画に誰かが注目するとは思えなかったが、予想に反して『アクエリアス』はカルト映画となった。ソアビは根っからのホラー映画監督ではないように思える。ソアビは「でも、『アクエリアス』はホラー映画には違いない。自動ノコギリのような一番単純なメカニズムを試した後には、もっと些細で奇妙な、そしてより視覚的でない事柄で観客を怖がらせる方がいい」との意見を持つ。

アルジェントとソアビは別の人格

 イタリアンホラー映画全体からみても、ソアビの映画の撮り方は全く特異だ。例えば、ダリオ・アルジェントの影響をさほど感じないのだ。アルジェントはソアビの師匠の1人であることは間違いなく、アルジェントの助言はソアビにとって非常に重要だ。だが、ソアビは「2人が別の人間であるということもまた事実」と語る。ソアビは恐怖と同時にロマンチックであることを好むが、アルジェントは感傷主義を排し、彼独特のやり方で直接緊張感へ切り込んでいくタイプの演出をする。

 『デモンズ4』の特殊効果について、ソアビは「かなり現実主義的な作品であるため、特殊効果は重要ではないし、重要視しないほうが望ましい」と語っている。ソアビは特殊効果に傾倒するタイプの監督ではない。特殊効果を施すためには、かなり多くの時間が必要であるほか、ただ使うだけではだめで、物語に対して効果的に使用しなければならないからだ。『デモンズ4』は狂気に焦点を当てた映画といえ、常に何かが起こりつつあるがそれが何なのかは分からない、というようなドラマチックで邪悪で、よこしまな映画である。

 ソアビは撮影現場では一種のトランス状態で仕事している。ソアビには一日14、15時間でも持ちこたえられるようなエネルギーが備わっているのだろう。そしてこれが、トランス状態の典型的な症状だといえる。

 作家というものは、自分の作品に元々備わっているメッセージや隠喩といったものを自覚しているのだろうか。それとも後でそれに気づくだろうか。これに対してソアビは「後で気づく時もあるし、物語の中にたくさんの隠喩が含まれていて、すぐにそれと気づく時もある。あるいは、他から与えられた物語を描きたい場合は、それを語るために隠喩を使う時もある」と説明している。

 ホラー映画の現状について、ソアビは「かつてノワールに対してそうであったように、最近ホラー映画がコメディー映画へ合流するという、ある種の混交があった」との認識を示している。「ホラー映画は停滞した状況からもう一度抜け出す必要があるだろう。ともかく、僕は楽観主義者だ」とのことだ。


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